此岸からの風景 sekinetoshikazu.com since 2005

top photo essay essay gallery exhibition biography contact

Photo essay 入間川写真紀行

2004 2005 2006  2007 2008

2004.3.17(水)晴れ。あたたかい。午後からは強い西風。青空はない。曇天。

右岸から、関越橋(入間川橋)の下へ行くには、
二通りある。ひとつは、水上公園にそった土手道に車を止め、歩いていく。ところがだ、土手にあがる道に、真新しい車止めのポールが立っている。となると、八瀬大橋に向かう道に出て、右に折れるしかない。

関越道の側道ぞいに、ちょっと走る。道は、左におおきくカーブする。産廃の野焼きをして問題になったところだ。いまはきれいに整地され、ゲートボール場になっている。年寄りたちが、のろのろ動いている。と、すぐに「ごっこ村」の看板が見える。奥にモトクロス場があって、それを「ごっこ村」といっているらしい。

右折。ちょっとした広場だ。細い道が三、四本、枝分かれしている。一番右側を行くことにする。狭い、クネクネした道。両側には竹やぶ。

この道はまえにも走ったことがある。たしか、橋の下まで続いていて、そこで行き止まりだ。

あいもかわらず、ゴミだらけだ。それに、そこいら辺じゅうが、何者かによって不法占拠されている。張りめぐらされたロープや有刺鉄線の奥で、いったい、だれが何をしているんだ。のび上がって奥のほうを見る。産廃の小山に、焼けただれた雑木。枝が、しろっぽい空に突きでている。まったく
!気分は最低。こなけりゃよかった。とはいえ、戻るに戻れない。回転する場所がないんだ。最後まで行くしかない。ガタガタ道をゆっくり進んだ。

右手に、ゲートボール場が見えてきた。年寄りどもが、怪訝な表情でこっちを見ている。無視無視。そっぽを向きながら、さらに車を走らせる。うち捨てられた家電や生活用品の山だ。おいおい、なんかにおうぞ。

行き止まり。関越橋の下だ。薄暗い、じめじめした所だ。大破した軽トラの廃車があり、目の前には、ブルーシートの掘っ立て小屋。犬がほえている。主の、びっこのホームレスの姿は見えない。それに今日は、こんなところでデイキャンプだ。赤い乗用車の横で、若いヤツラが五、六人、なにか作って食べている。不審に思われないようにと、これ見よがしにカメラを持って外に出る。下流のほうが順光だ。うーん、まるっきり話にならない景色だな。カメラを構えることもしない。引き上げだ。

それにしても、こんなところでデイキャンプねぇ〜、人目を避けているのか?

広場に戻ってきた。今度は、右から二番目の道を行く。産廃業者の敷地が目の前に見える。安普請のプレハブがあり、車が一台止まっている。あれ、行き止まりか?突き当りは、ゴミの山だ。いや、道は続いている。左にカーブしている。とたんに、右手の視界が開けた。下の方に河原が見える。道の真ん中に車をぶっとめ、外に出る。対岸には、ブルーシートの掘っ立て小屋。手前にはラジコン広場。明かりは順光でも、これまた、撮るべき景色じゃない。それに、空も川も、ヘンな色だ。

さらに、道をなぞるようにして走る。れいの「ごっこ村の」正面だ。閉ざされた門の前に、白いワゴン車が二台止まっている。バックドアがパックリあいている。コスチュームに身を固めたバイク野郎が、なにかゴソゴソやっている。その目と鼻の先に車を止めて、外に出た。がけっぷちに立って、下流の関越橋を眺める。やはり撮る気になれない。

以前はこの位置から、逆光にもめげず、上流に向かって撮った。寒い日で、空も川も青かった。枯れ枝が、川にかかっている写真だ。遠くに山も見えた。

ゆっくりと車を走らせる。うしろではバイク野郎が、ガアーガアー騒いでいる。まえにはデコボコの、ホコリっぽい道だ。産廃の山をぬうようにして続いている。殺伐としている。ここはいったいどこなんだ


やっと、八瀬大橋の下にまで来た。しかしまぁ、いつきてもゴミだらけだ。とりわけ今日はひどい。護岸のすぐそばに、車一台分くらいの廃材が捨てられている。

カメラを持って外に出た。今日はまだ一枚も撮っていない。対岸を眺めた。中州の緑の草が目に入った。正直いって、ほっとした。何枚か撮った。


午後の三時だ。いつもなら、昼寝の時間だ。それなのに今日は、左岸側の、川越橋のヨコにいる。これから土手道を歩いて、下流の雁見橋のほうへ行くつもりだ。対岸の、土手の向こうに広がる川越の街並みを撮ろう。

外に出た。太陽の位置を確認する。あれ、下流の土手に順光だ。思い描いていたのは、対岸に明かり来ている状態だ。もう少し時間がたたないと、ダメなのかもしれない。でもねぇ〜、四時すぎたら、写真が赤っぽくなるぞ。夕日を浴びた土手向こうの街並み。そんな景色を撮りたいんじゃない。

西風が強い。寒い。雁見橋まで歩くのが、ためらわれた。それじゃあ、鉄塔を撮ろう。

ここを通るたびに、川向こうの、川越の市街地を突っきっていく鉄塔のことが気になった。じつは、何回も撮っている。ただし、いつも明かりの具合がよくなくて、まともに撮れたためしがない。今日だってそうだ。空の色はよくないし、だいいち、ななめ四十五度の、完璧な斜光だ。なに、かまうものか!四、五枚撮った。とはいえ、強風で体があおられる。ぶれて、水平が取れない。もう限界だな。

砂利道をゆっくり走った。土手下には、整地された河川敷が広がっている。東京国際大学の、アメフトの練習場だ。さすがに今日は誰もいない。と思いきや、黄色のジャージー姿の男がひとり、体操をしている。ふーん。土手向こうに広がる風景を目で追いながら、さらにゆっくりと走る。しだいに、青い、雁見の橋が近づいてきた。しろっぽい砂利道を、左下いっぱいに入れて、車のフロントガラス越しに一枚撮る。どうということもない、反故同然の写真だ。それに、だいいち横着だ。

体操男が、また目に入った。上半身裸だ。けっこうさむいぞ。ヘンな野郎だ。

県道を突っ切る。舗装された土手道を、ぴゅうっとひと走り。すぐに、右に下りる道がある。そのまま行けば川原。左側にも下りる道があって、土手下には、白いシャーペン工場が幾棟もある。その、道が枝分かれする中途半端なところに車をぶっとめ、外に出た。風が強い。話にならない。それでも撮った。お気に入りの堰を、なんとか風景の中に取り込みたい。でもこれじゃ、ちょっと、遠目すぎるな。

夏の暑い日だ。よくこの堰に来て、水流や泡を撮った。それこそ数え切れないほど撮った。ちょっと前のような気もするし、ずっと前のような気もする。





2004.3.19(金)晴れ。風もなくあたたかい。絶好の写真日和。ほとんど雲ひとつない青空。天気予報によれば、この週末から崩れて、来週は曇りの日が続くそうだ。そんなことが頭にあったので、今日は朝から、多少入れ込んでいた。目いっぱい写真を撮ろう。

十時。初雁橋を渡ってすぐに、左側の歩道に乗り入れる。逆Vを切って土手に入り込んだ。今では車進入禁止のところだ。なに、かまうもんか。

案内板の横に車を止めた。土手からおりて橋をくぐり、また土手を登った。上流の関越橋へ向かって歩きはじめる。明かりの具合は、対岸にほぼ順光。景色を目で追った。といっても、たいした景色じゃない。なにしろ、川との間には、背の高い雑木がある。ずうっと続いている。そいつらが視界をさえぎっているんだ。むろん、今の時期、葉っぱは落ちている。坊主の状態だが、邪魔であることに変わりはない。それに、工業団地の、無粋な建物ばかりが目に付く。まるっきし絵にならない。こりゃあ、散歩だな。

この土手には何度も来たことがある。造成中の頃、いちど面白半分に登ったこともある。けっこう高くて、見晴らしがいい。左手には、川越水上公園の池。白鳥の乗り物がきれいに並んでいる。観光地の湖に浮かんでいるヤツだ。池の周りは遊歩道で、ところどころにベンチが置かれている。屋根のついた休憩所もあり、いちおう、公園の体裁は整っている。だがその手前は、整地されただけの、だだっ広い広場だ。かなり長い間、そのままだったと思う。それが、土手の完成をまって、いちはやく、車で乗り入れたときには、日当たりのいい、立派な公園になっていた。平日でも、家族連れが大勢来ている。きわめて健康的な空間に変貌していた。今日だってそうだ。ちっちゃな子供が走り回っている。若い母親たちが、いたるところで立ち話をしている。それに、家族でお弁当だ。周辺には、犬の散歩やらウオーキングやらで、年寄りたちが右往左往している。

ひろめの土手を、斜め左に太陽を感じながら歩いていた。はじめのころと比べたら、地面のジャリがかなり少ない。まえに車で来たときは、しろっぽい砂利が、それこそ、みっちり敷かれていた。いまはなんとなくまばら。相変わらず、土手下の雑木が対岸の景色を邪魔している。左は、オフのプールサイド。手を額にかざしながら、のび上がって見る。夏の暑い日に、幼い娘たちと、このプールで遊んだことがある。今は誰もいない。

行き止まり。どか〜んと関越道にぶつかった。初雁橋から、およそ十五分。歩き通したのは、これがはじめてだ。しかしまぁ、撮りたいものが、なにひとつない。かすかに後悔した。立ち止まってひと息ついた。関越道の、ずっと向こうの山並みに、ちいちゃな三角の山が見える。秩父の武甲山だ。記念に、一、二枚撮った。散歩だよ散歩。天気もいいし、最高の散歩だった。

土手の下は、きれいに整地されていた。ちょっとした広場になっていて、ベンチなどが置かれている。

すこし前まで、ここはホコリっぽい空き地だった。だれもが車で、自由に出入りできた。だから、不法投棄がたえなかった。それがあるとき、忽然とバラックが建った。用途不明の、壊れた機械や廃車が、その周りをとり囲んでいる。おまけに、長い紐につながれた、皮膚病の犬が何匹もいて、すぐに吠え立てた。まったく!いまいましく思っていた。しかしそのうち、行政が、この無法地帯の公園化に手をつけた。舗装された広い遊歩道を作り、周辺を整備した。当然のごとく、不法占拠者は強制的に排除された、のだと思う。いや、ひと悶着おこして、多少の金をせしめたのかもしれない。なにしろ、あれほどの廃棄物だ。重機をつかって運び込んだにちがいない。ホームレスがやれることじゃないんだ。

河原のほうへおりていった。目の端に、掘っ立て小屋のブルーシートが映った。入り口が開いている。小屋の周りが、どことなく整頓されている。こんなに近くで見るのは初めてだ。ちゃんと生活しているんだ。さらに水辺のほうへ歩いていった。土手からの景色がダメなら、川を撮ろう。とはいえ、背景が駄目だ。工場の屋根ばっかしじゃないか。川の色も流れも、写真に撮りたいほどじゃない。それでも、水際をくまなく歩いた。やはりダメだ。帰りかけた。未練たらたらで、振り返った。同じ形をした工場の屋根が三つ、目に入った。三つ子だ。引き返した。水際に膝をついて、撮りだした。かなりの枚数を撮った。撮れたのかな?半信半疑だった。こういうときは、思い込みさえ写っていない。写真とはよべない代物になっている可能性が高い。まえに、廃棄物を撮っていたころに証明済みのことだ。ともあれ、午前中の写真撮影は時間切れだ。

十一時半になっていた。こころもち、気持ちが急いていた。病院へ行かなければならない。お袋の透析迎えだ。舗装された遊歩道を一気に歩いていこう。河原から上にあがろうとした。れいの小屋が、すぐ目の前にある。そこに、くろっぽい、小柄でガッチリした男がいた。あれ!ここの住人は、あいつじゃない。よたよた歩きの爺さんだったはずだ。男の背中を眼で追う。小屋の中から、なにやら、炬燵のような、テーブルのような、四角いものを持ち出してきた。それを自転車へ載せようとしている。と、ふいに視界に入ってきたのは、鮮やかなスカイブルーのジャージーをはいた、みるからに貧弱な男だ。上着のほうは、くろっぽいジャンパーだから、いかにも不釣合いだ。歩き方を見ると、少しびっこだ。ははぁ〜ん。男が、何やら指示を出している。びっこの爺は、言われるままに、自転車の荷台に四角い大きなものをくくりつけている。そのうち、二台の自転車が走りだした。爺のほうが先頭だ。でもけっこう、ちゃんと走っている。そんなにトシを食っていないのかもしれない。それにしても、二人して、これからどこへ行くのだろう?

春の、やわらかな日差しを浴びて、自転車に乗ったホームレスたちが、土手道を走っていく。あの小屋で、二人で暮らしているんだ。ちょっと意外だった。

遊歩道に上がって歩き始めた。ホームレスたちにひっかかって、ますます時間がなくなった。足を速めた。デジカメのメモリーがいっぱいなのに、交換することさえ億劫だ。しかしこういう時にかぎって、なんか出てくるんだ。今日の場合は鉄塔だ。青い空に向かって、スコーンとたっている。一瞬迷ったが、その場に立ち止まって、すばやくカードを交換した。ほとんど何も考えずに、二、三枚立て続けに撮った。とうてい、モノになるとは思えないが、撮らなかったら悔いが残る。気持ちを静めるためにだけ撮った。これでいい。あとは、後ろも振り返らずに、ずんずん、初雁橋のほうへと歩いていった。

二時。ここは、なんと説明したらいいのか?川越から来ると、初雁橋を渡ってすぐの、トヨペットの脇を入った、ポンプ場に入る専用の道だ。行き止まりになっていて、土手下の広場にぶつかる。目の前には初雁橋がある。

車から外に出た。黒のウインドブレーカーの上下を着込む。靴も履き替える。デジカメポーチを肩にかけ、カメラを首にぶら下げる。キャップを取って、ポーチの脇のポケットにしまう。カーキ色の、指先のない手袋をする。サングラスをかける。今日はかなりあったかいから、毛糸の帽子のほかに、ツバのついた帽子も持っていくことにする。さあ、いくか!かなり気合が入っている。天気がいい日には写真撮影、そうでない日には写真紀行の執筆、そう決めたからだ。撮って撮って撮りまくり、書いて書いて書きまくる、これが理想だ。ちょっと、気負いすぎだ。こんなときは、あっという間にコケてしまう。そうならないように、今回はたしょう慎重にかまえている。なにしろもう、あとがない。

広場を突っ切る。サイクリングロードをまたいで、土手に上がる。なじみのある水門のまえだ。左手の初雁橋には、ひっきりなしの車の群れ。ふん、相変わらずだ。対岸の、新しくできた水門をじっと見る。ちいさくて、ほとんど見えない。上流の関越橋へ向かって歩きはじめる。明かりは下流に順光。いや、ほぼ真上だな。まぶしくてしょうがない。対岸を目で追う。土手の向こうが見えない。なんとなく青い空だけだ。川の流れも見えない。しらっちゃけた川原が広がっているだけだ。そうだ、思い出した。この土手道は、幅が広くて、目の前が開けている。だから、散歩道としてはいい。でも、写真に撮るような景色はどこにもない。まえに歩いたときにそう思ったんだ。

土手下にはサイクリングロードが並行している。むかし、ここをよく走った。上流の、安比奈親水公園から初雁橋までの、およそ四キロのジョギングだ。そう、ちょうどこのあたりからが苦しかった。あつくて、あつくて、汗が体から滴り落ちた。あれはまだ、二十世紀のころだ。四国の札所を歩くために、体を鍛えていたんだ。まだ、トシ相応の体力があり、健康だった。

対岸に、水上公園の、たかい滑り台と三本の白いポールとを見つけた。それを目で追いながら歩いた。土手道は終点に近づいていた。立ち止まった。以前、写真を撮った場所だ。背の高い枯れ草がなびいている。そこに分け入る道があり、河原にまで続いている。右手には関越道。コンクリの橋脚が、入間川に何本も突き刺さっている。橋の終わりは、ちょっとした木立になっていた。そこに、つまり関越道に寄り添う形で、ブルーシートの掘っ立て小屋がある。一年たっても、この光景に変化はなかった。不思議な感じがした。

土手が途切れている。ずっと並行してきたサイクリングロードは、橋の下を抜けて、親水公園のほうへと続いていく。あぶなっかしい足取りで土手をおりる。なにしろ急で、すべりやすい。とたんに、目の前には巨大な橋脚。対岸へ向かって、ずらりと並んでいる。その上には、二本の高速道路。頭の上を貫通していく。いつ来ても押しつぶされるような感じ。カビくさくて、陰気で、ほんとにイヤな場所だ。

いぜんはここにも、ホームレスがいた。いや、浮浪者といってもいい。コンビニの期限切れ食品を、ここで食い散らかしていた。一面ゴミだらけ。そののなかで、日向ぼっこよろしく、コンクリの橋ゲタに寄りかかり、エロ雑誌を読んでいた。いまは、そいつもいないし、もう少し水辺に近いところにあった掘っ立て小屋もなくなった。遠慮なしに、ゆっくり歩くことができる。橋脚の落書きを見ながら、河原のほうへおりていった。

そう、去年の夏だ。日差しをさけるために、よく、この橋の下に来た。車からテーブルと椅子を持ち出し、その上でパソコンを開いたり、パンをかじったりした。涼しい風が吹いていた。そのうち、暑い日の午後には、何台もの車が入り込んできた。とくにお盆のころは、若者や家族連れが、車を連ねてやってきた。大人たちは
バーベキュウを楽しみ、子供たちは川の中ではしゃいでいる。そんなとき、常連の、パジェロミニの若いヤツは、ちょっと離れたところに移動した。あいかわらず、リクライニングのレジャーチェアーに寝そべって、文庫本を読んでいる。もうひとりの常連、軽ワゴンのじいさんは、お気に入りの水辺で、終始、肘をついて寝っころがっている。ほかにも、犬をけしかけて、川の中で泳がせている夫婦連れがいる。でかい4駆で、カンカン照りの河原を走り回っているヤツもいる。みな、暑い夏の午後のことだ。

水際を歩きはじめた。対岸の、水上公園の白い三本のポールが気にかかっていた。川の色も、空の色もまずまずだ。何とか写真にしたい。ところがだ、ちょろちょろした流れの向こうに、自転車が止まっている。そばに、茶色っぽい、格子のジャケットを着た若いヤツがうずくまっている。本を読んでいるのか、ゲームをしているのか、定かではない。このまま歩いていくと、なんだかそいつと目が合いそうだ。すっと水際を離れる。そっぽを向いてやり過ごす。また水際にもどって、対岸の、三本の白いポールを目で追う。よし、真正面だ。手前に川を入れて、何枚も撮った。撮れたような気がした。

さっきから、うしろのほうで、腰の曲がった老婆が、蓬を摘んでいる。それを背中で感じながら、水辺を、歩けるところまで歩いて、護岸にあがった。一息ついて、下流を見渡した。さしたる景色じゃない。ただし、護岸ぎわの流れが、水鏡になっている。きれいだ。空の色をうつして、青い。静かだ。これはと思い、おもむろにカメラを構えた。でも、背景がよくない。しらっちゃけた川原と土手、その向こうにはマンション。どうにもこうにも絵にならない。きれいだからといっても、水面だけじゃあ、どうということもない。それに、500万画素クラスのデジカメの場合、かような質感描写は至難の業だ。だいいち、その手の写真を撮るつもりはない。まあ、いいか。ぼぉっと、その場に立ちすくんで、水面を眺めていた。おや、波紋だ。風もないのに、目の錯覚か?注意して、もう一度見る。まちがいなく、水面が揺れている。ふぅ〜と、なめらかなうねりだ。あっ、鯉だ一尺以上の、黒いヤツが五、六匹、カミのほうへ泳いでいく。目で追う。まるで少年だ。

前を見た。枯れ枝が覆いかぶさるような護岸だ。下流の初雁橋まで、一直線に続いている。なんとなく、後ろを振り返った。あろうことか
老婆が茂みで用を足している。どぎまぎした。見てみぬフリをして、すぐに視線をもどした。足元に注意。ヘビの出そうな護岸のヘリを歩きだした。こころもち早足になった。

あっという間に水門に着いた。少し平らになった護岸に座り込んで、カメラとポーチを肩から外した。靴も脱いだ。靴下も脱いだ。足の裏が少し汗ばんでいる。かるく揉んでやった。風もなく、穏やかな日和だった。ちょっと休んでいこう。胡坐をかいて、対岸をじっと見た。土手の上をヒトが歩いている。すぐ横の初雁橋には、相変わらずの車の列。そうだ、久しぶりに「数息」でもやるか。
五十、数え終わったころには、車の騒音も聞こえなくなった。

最後にもう一度、初雁橋の上から撮ろうかな?いや、やめておこう。何回撮っても同じことだ。今日だって、いの一番に撮っているじゃないか。あれがダメなら、もう、季節を待つしかない。執着してはイカン
気持ちよく、ここで終わろう。





2004.3.21(日)晴れ。風もなくあたたかい。青空。ただし、山並みはかすんでいる。午前九時、川越橋を渡っり、すぐに左に折れる。右岸の、舗装された土手道を下流に向かって走る。あっというまに雁見橋。県道を突っ切り、さらに土手道を行く。左下には、お気に入りの堰。前には、うす緑色した平塚橋。その手前の河川敷グランドは、少年野球専用だ。そのあたりが、なんだかヘン。白いもやもやが、地面すれすれを流れている。さらに近づいてよく見る。今日の撮影予定は、平塚橋の向こうからなんだけれどもなぁ〜。この際、そんなことは関係ない。車をハジに寄せる。カメラを持って、土手の階段を駆け下りる。湿った地面からの水蒸気が、風に流されている。なるほど、ぞっとするほど冷たい風だ。それにしても、白いもやもやが、橋の下から、きりもなく押し寄せてくる。グランドの真ん中に突っ立って、そいつらを捕まえようとした。子供のようにはしゃいでいる。こんな光景を、あんたは、写真に撮れるのかな?撮れないだろうな。でも、やはりシャッターを押した。とくに、階段の上からは、たくさん撮った。手前に、土手下のまばらな草をいれた。いちめん茶色のグランドには、かすかに白いもやもや。土手向こうの白い民家と青い空とを背景にした。もっとも、この絵面は、先日発見したものだ。そうとう気に入って、何枚も撮ったが、モノにはならなかった。今は、そのグランドに靄がかかっている。これを逃す手はない。ところがどっこい、今回も全滅だ。明かりの具合がよくないのか?いや、そうじゃないだろ。構図が悪いんだ。それに、ウデがない。はしゃいで撮ったほうのが、まだマシだ。

車に戻った。平塚橋の下へ車を止めるつもりだった。県道を突っ切り、すぐに、土手を、左斜め下へおりていった。土手下の道だ。そこからさらに、左方向へ、背の高い枯れ草の間をぬけていけば、橋の下に出られる。ところが、車止めがしてある。不法投棄が絶えない場所だからな、としぶしぶ納得する。となると、車はどこに止めようか。ここだ。土手下の道に止めるしかない。ハジに寄せる。これなら、ほかの車も通れるはずだ。

ヨコにはキャベツ畑があった。この辺の畑としては、めずらしく、ちゃんと仕切りがしてある。身支度に手間取っていると、うしろから白いトラックが来た。見ていると、すぐ目の前に止まった。荷台には、でかい給水容器が積んである。おや、おや、長靴の、ヘンな親父がおりてきた。畑のほうを見ている。ふん、キャベツなんか、だれも取りゃしねぇよ。

歩きだした。右は、かなり高い土手だ。左は、占有許可を受けた畑。ずっと続いている。乱雑で、汚らしい感じ。好きな場所ではない。それに、いくら天気がいいとはいえ、散歩しにきたんじゃない、写真を撮りにきたんだ。景色のないところを歩いてもしょうがない。

草が少し生えている、やわらかい斜面を登った。砂利の土手道だ。明かりは対岸にほぼ順光。目で追いながら歩きはじめた。なぁ〜んにもない。手前には、乱雑な畑。川の流れは、そこからガクンと下がっている。ここからは見えない。土手の向こうは、おそらく田んぼだろう。空しか見えない。とはいえ、かすかに外秩父の山並みがみえる。むろん遠すぎて、ズームいっぱいの
200ミリでもとどかない。こういうときは、ながめているのに限る。

あの、おっぱい山(笠山)の、乳首の部分を登ったんだ。展望のない、暗い山道だった。山頂の眺めもほとんどなかった。たしか、小さな神社があったはずだ。その左が、堂平。天文台は閉鎖されていて、中には入れなかった。でも、裏手には、すばらしく開けた斜面があった。秩父の街並みが一望できた。あるときそこで、真紅の敷物を敷いて、説教節の稽古をした。まわりにはだれもいない。山間に声が響いた。爽快だった。

かなり歩いた。そろそろ引き返そう。おっぱい山も視界から消えかけている。そう思って、今一度対岸をじっと見た。あれ、煙が出ている。煙突だ。鉄塔も何本か見える。手前には建物もある。カメラを構えた。ズームいっぱいの
200ミリだ。フン、フン、フン、あれはどの辺なのかな?青い空をいっぱいに取り込んで、一枚撮った。

さあ、引きかえそう。とは言うものの、前半戦の復路を、手ぶらで戻るわけにもいかない。土手下の道へおりた。戻りながら、水辺に近づく道を探した。車一台通れるほどの道が、枝分かれしている。だが、すぐに行き止まりだ。おっと、河原が見える。ヒトの踏み固めた小道もある。

はじめておりる河原だ。ヨコにかなり長い。水際をカミへ向かって歩く。明かりは対岸にほぼ順光。目の高さに、水流にえぐられた、今にも崩れ落ちそうな崖がある。ずっと続いている。きのうの晩、たしょう雨が降ったせいか、川の勢いがいい。がけっぷちには、草がまばらに生えている。菜の花も見える。ひょろひょろしている。数本ずつ、点々としている。貧弱な鉄塔もある。すぐに、送電線の真下だ。退屈しのぎに、二、三枚撮った。ようするにここは、両側を崖に挟まれた、視界のきかない河原なんだ。流れも、ここで
S字蛇行しているから、川カミも川シモも見えない。期待していたぶん、拍子抜けだった。写真に撮るような景色はどこにもない。やれやれ。
水辺を歩けるところまで歩いた。しだいに川幅が広くなり、やっと終わりだ。振り返った。河原にも、ところどころに草が生えていた。土手の向こうにも、白い花をつけた木が見えた。いままで静かだった水面が、かすかに波立った。冷たい風が吹きぬけていった。

急な護岸をのぼり、上にあがった。足元は、枯野というか、荒地というか、とにかく、長靴なしでは、歩けるようなところではない。冬眠中のヘビを踏んづけてしまいそうだ。踏み込んでいくのを、ちょっとためらった。とはいえ、ここを突っ切って、土手下の道に戻るしかない。車は、すぐそこに見えている。おっかなびっくり、足元に注意しながら歩いた。万が一にも、マムシに食いつかれたら、それこそ洒落にもならない。臆病といえば臆病だな。

車に戻った。ちょっと疲れた。休憩がてら、パソコンに画像を入力した。相変わらず、目の前には白いトラックが止まっている。長靴の親父は、少し先のほうにいる。キャベツ畑をチラッと見た。エンジンをかけた。先ほど折り返したところまで走った。ほんの数十秒だ。車をハジに寄せ、土手に上がった。砂利道だ。すこし行くと、大きく右に曲がっている。落合橋が見える。土手下を、ずっと並行してきた自転車道が、ぐっとせりあがってくる。土手道と交差し、こんどは、左下へと流れていく。畑はとぎれ、川原は一面、背の高い枯れ草に覆われてしまう。対岸に見るべきものはない。ぶらぶら歩いた。あっという間に橋だ。まだ十二時前だった。橋の下へおりていった。ふらふらっと、なじみの水深計のところへ行った。四角い枠の中から、対岸を見た。今日は、どっかのおばさんが、土手で草を摘んでいる。あったかくて、いい天気だ。

歩き出した。橋の下は、相変わらず、荒れた感じだ。空き缶やゴミなどが散乱している。『告』。橋げたに、なにやら張り紙だ。四隅を布のガムテープで、ピシッと貼り付けてある。おふざけで、写真に撮った。なになに、『ここは、国土交通省が管理している河川区域です。この場所に住んでいることは、1−国有地の不法占用に当たり違法である。2−洪水時に小屋などが河川に支障を与え、危険である。3−火気の使用による火災等、堤防や橋などに悪影響を与え、危険である。4−子供たちや地域住民の河川利用が妨げられる。5−洪水時に生命の危険にさらされる。など、河川管理上支障となるので、平成15715日までに撤去をされたい。国土交通省云々。』役所からの撤去勧告書だ。なるほど、地面には、煮炊きしたアトがある。ガラスの破片なども散らばっている。

ふざけた話だ。なんだかんだと理由をつけてはいるが、早い話、「地域住民」が役所に連絡したんだ。汚らしいから、追い払え!「管理上支障となる」。ふん、笑わせるぜ。しかし、ま、自転車道の真向かいで野営するホームレスも、よほどの間抜けだな。人目につかないところで、おとなしくしていれば、「地域住民」だって、大目に見てくれるんだ。

この橋の下には何回も来ている。ホームレスらしき輩を見たことはない。もっとも、こちらとしても、そんなヤツはいないほうがいい。いや、差別しているんじゃない。橋の下での生活すら、ママならない人間に、たしょうは同情してもいい。汚らしいというだけで、追い払うのは、いかがなものかと思う。それに俺だって、この先どうなるものやら、わかったものではない。

勧告書の日付が気になった。ずいぶん前の話だ。それなのに、いまだにちゃんと張ってある。追われたヤツが、腹いせに破り捨ててもよさそうなものだ。あるいは、その辺にゴミなどを散らかしていく、野蛮な連中が、すぐにも引きちぎりそうなものだ。そうならないのは、出所がおカミだからだ。張り紙とはいえ、なんとなく、手をつけられない雰囲気がある。

橋を背にして、自転車道を歩きはじめた。上流へ向かっている。というよりは、車のほうへ戻っている。左には、さっき歩いたばかりの高い土手、右には、これまた背の高い枯れ草、道が左に大きくカーブしているから、川カミは見えない。つまり、何も見えないんだ。意味がないだろ、こんなところを歩いていても。なんだか、気が抜けてしまった。陽気が、あまりにもいいからだ。

土手の斜面が、少しだけコンクリで固められている。なぜだかわからない。二、三歩のぼって、腰を下ろした。カメラとポーチを肩から外し、そっと脇に置いた。小休止だ。目の前を、ちっちゃなリックを背負ったおばちゃんたちが、おしゃべりしながら通り過ぎていく。かとおもえば、サイクリング車が連なって、颯爽と、走り去っていく。すぐヨコに、ちょっと太めの杭が立っていた。『海まで
55キロ』。ふ〜ん。むろん、この自転車道が海まで続いているわけではない。それに、海といっても東京湾のことだ。にもかかわらず、うなってしまった。海から、ではなく、海まで、と書いてある。しかも、55キロ、という微妙な距離だ。イメージを喚起するには、これで十分だ。小役人も、たまにはあじなマネをする。

立ち上がった。歩きだした。しかしねぇ〜、このまま戻るわけにもいかないだろう。なんとかして、水辺におりていきたいものだ。枯れ野が途切れた。そのとなりに、ひと畝の、きれいに耕された畑だ。ヘリを目で追う。川のほうへおりていけそうな感じだ。ヘリをつとうて、さらに、枯野に踏み込んだ。すぐに、がけっぷち。岩砂利ネットの護岸が続いている。下に川。ふぅ〜。足を滑らせないように注意して、水際におりた。静かな流れだ。川シモの落合橋が小さく見える。土手を、車で流しているぶんには、けっして見えてこない景色だ。足場の悪い水際を、後ろ向きに歩きながら撮った。

「ライフ」の女流写真家が、あるとき、デモ行進のまん前に躍り出た。すぐさま、後ろ向きに歩きながら、さかんに撮りだした。それをみて、誰しもが、彼女をプロだと思った。そんなことを、本で読んだ気もする。俺の場合、せいぜい、転ばないように注意するのが関の山だ。

岩砂利ネット。苦しまぎれの造語。多数のこぶし大の岩石を、太い針金で包んだもの。網目状で、細長い。コンクリの護岸にくらべて、安上がりなのだと思う。増水時に、畑を水流から守っているわけだ。

水際からあがった。また、枯野を踏みわけ、畑のヘリをまわって、土手下の道に戻った。自転車道は、いつのまにか、土手の向こう側に消えていた。ふと、空を見上げた。スジ状の雲がすばらしい。まちがいなく明日は崩れる。そんな予感がした。見上げながら、その場でぐるりとひと回りした。空が高い。

車に戻った。かなり疲れていた。ハラもすいていたし、ノドもかわいていた。でもまだ、帰りたくない。こ汚い畑の前ではあったが、車から椅子を持ち出した。靴をぬぎ、ゆったりと腰掛けた。深呼吸。なんの不安も心配もなかった。

ネギのにおいがしてきた。見回すと、目の前の畑にある。一、二本、引っこ抜いていこうかな。もちろん冗談だ。まてよ、さっき、ホームレスのような、浮浪者のような、汚い身なりの男が、この土手下の道を歩いた。たしか、白いレジ袋を小脇に抱えていた。あのなかには、ひょっとしたら、ネギや小松菜が入っていたのかもしれない。偏見だ
たしかにそうだ、思いちがいだ。しかしいったい、何でこんなところを歩いていたんだ。あれは散歩じゃない。食料を探して、ほっつき歩いていたんだ。やはり、身なりの汚い人間に偏見を持っている。あんたも、キャベツ畑の、あの長靴の親父とたいしてかわらない。

陽が傾きはじめた。そろそろ、引き上げだ。





2004.3.27(土)快晴。雲ひとつない青空。強い西風。さほど寒くはない。八時半、雁見橋を渡り、右岸の土手道を下流に走る。いっきに釘無橋の手前まで行く。休憩所の前に車を止める。

自転車道は、ほとんどの場合、土手の下を走っている。ただし、ここは例外。広めの土手のうえを、土手道と自転車道が並走している。そのぶん、車の通る砂利の土手道が、いくぶん狭い。いくらハジに寄せても、通行の邪魔になる。とはいえ、このあたりは、見晴らしがよく、ちょうどベンチなどもある。不心得者が、後先考えずに、土手に車をぶっとめるかもしれない。おそらくは、かような理由で、土手道に、わざわざ路側帯を作ったものとおもわれる。いま、俺が車を止めているところだ。ちなみに、こういう例外が、もう一箇所ある。やはり右岸の土手道で、川越橋から雁見橋の間だ。

九時、撮影開始。いま来た土手道をもどる形で、川カミの、落合橋のほうへむかう。明かりは上流に順光。右下の城西高校のグランドを見ながら歩く。

野球のユニフォームを着た、数十人の若者たちだ。グランドいっぱいに広がって、体操をしている。あれは、普通の準備体操じゃないな、ストレッチ体操の一種だろう。かけ声にしたがって、ゆっくり、大きく、足や腰を伸ばしている。その隣にも、きれいにならされたグランドがある。こっちはサッカーの練習場だ。まだ、誰もいない。

土手をおり、水際まで行った。きのう撮った水深計のそばにしゃがみこんで、川の流れを見た。深緑色の水面が、かすかに動いている。土手には、まばらに草が生えていた。空の色はみず色。なんとも、いい色合いだ。おもわず、『抽象表現主義』の絵画を連想した。ファインダー画面には、上から、みず色、緑色、ふか緑色の、三本の太い帯だ。ちょっとおもしろがって、何枚か撮った。

案の定、ほとんど写真と呼べる代物ではなかった。生半可な知識が邪魔をしている。頭で撮った写真だ。面白みがない。ああ、またしても、勘違いの巻


川シモの方を眺めた。ずっと崖になっている。増水時の濁流によって、水際が浸食されている。いまにも崩れ落ちそうだ。平塚橋あたりから、しばしば目にする光景だ。これより先は、グランドのヘリを歩いていくしかない。

ちょっと高いところから、下に流れている川を撮ってもダメだ。青い川を撮るには、なんとしても、水際までおりていかなければならない。とはいえ、それができない。がけっぷちなんだ。

そろそろ歩いた。サッカー、野球、ラグビー、三つのグランドの脇を通り過ぎる。若者たちの声が遠ざかっていく。そして、とうとう、畑だ。これは麦だな。崖に沿って、ずっと続いている。立ち止まった。ため息をつき、なにげなく振り返った。ぬけるような青空。目を凝らすと、かすかに、外秩父の山並みも見える。若者たちの喚声が、響いている。元気を出して、道なき道を進もう。

畑の作物を踏みつけないようにして歩いた。下には川が流れている。ちょうど、二階から見下ろす感じ。二、三歩、枯野に踏み込んで、おそるおそる、覗き込んだ。案の定、水辺に、おり立つようなところはない。それどころか、足の下に地面があるのかどうか、そのほうが心配だ。なにしろ水流で、ぐっと、下のほうから抉り取れている。いつ崩れ落ちてもおかしくない崖の上を歩いているわけで、これは、写真どころではない。

このあたりの地形は、以前から何度も、土手道を走りながら見ていた。踏み込んでいかなかったのは、写真に撮るような景色はない、と判断していたからだ。ところが、今日はちがう。なにがちがうのかといえば、ま、やる気だな。いや、いい写真を撮りたい、ということじゃない。そんなことは二の次だ。そうではなくて、言ってみれば、これは、探検だ。

子供のころ、見知らぬ町を、探検と称して、さ迷い歩いた。目に入るもの、すべてが新鮮で、そのまま脳裏に焼きついていった。知らない道を、わざとデタラメに歩き、でっくわした公園の、ちょっとした暗がりに目をみはった。うすくらい林をまえにしては、そっと辺りをうかがい、すばやく柵を乗り越えた。そのうち、静けさに怖気づき、樹木の幹を、手のひらで叩きながら駆け抜けた。ローム層の、小高い丘を見つければ、きまって少しあとづさりして、いっきによじ登った。そうして、西日に向かって雄叫びをあげた。『狼少年ケン』のマネだ。こうしたことの、どれもこれもが愉快だった。

探検とは、いささか子供じみている。だが、これを、散策と言い換えれば、いまの気分からは、もっと遠ざかってしまう。とにかく、水辺に近づく方法を目で探りながら、ゆっくりと、がけっぷちを歩いた。そして、足場の良さそうなところがあれば、そこに足をかけた。ちょうど、崖に斜めに立つ感じで、川カミにむかって、シャッターを押し続けた。たいした景色でもなかったが、そんなことは問題ではない。むろん、写真のデキなどは論外。この地点から、この角度から川を見たことで、十分に満足していた。

土手の上に車が見えた。けっこう歩いた。がけっぷちは、さらに続いている。でも、もういい。車にもどろう。とはいえ、土手までは、一面の畑。まだ背の低い、青い麦が、風になびいている。これを踏みつけて、突っ切っていくわけにもいかない。さりとて、てきとうなあぜ道もない。周りをちょっと見た。早足で、畑を突っ切った。青い麦だけは踏まないように気をつけた。それでも、畑には、くっきり、足跡が残ってしまった。

すぐに土手に行きついた。ただし、けっこう急だ。やわらかい斜面に、足をとられながら登った。もちろん、息切れするほどではない。

ちょっと前までは、これしきの登りで、息が切れた。眼発作を抑えるために飲んでいた薬の副作用だ。「悪魔の薬」といわれているステロイド剤で、商品名をプレドニンという。再発性の高い薬で、一度飲みはじめると、なかなか切れなくなる。

車にもどった。十一時だ。二時間たっている。どうりで疲れたわけだ。休憩。パソコンを開いて、メモリーの画像を入力した。ついでに、モニターに映し出し、保存する価値のない、いわば失敗作を削除した。そんなこんなで三十分、元気になっていた。後半戦も、また水辺の探検だ。

土手道から、ななめ左下へおりる道がある。くだっていけば、釘無橋の下だ。途中に、蔦のからまった木がある。周りが、ぐるっと平坦なところだから、どうしたって目に付く。それに、なんで、この木だけが切られていないんだ。いわくがありそうで、以前から気になっていた。でも、わざわざ撮るほどじゃない。ところが今日は、なぜか気持ちが動いた。急遽、坂の途中に車をぶっとめ、外に出て行った。この明かりと青空なら、辛気臭い雑木を、風景の中に解放してあげることができる。いやぁ〜、そんな大仰なことじゃない。記念写真を撮らせてもらっただけだ。

橋の下はゴミだらけだった。いや、これは、不法投棄だな。なにしろ、生活用具や衣服などが、そこいら辺中に、散乱している。夜陰にまぎれ、こっそり捨てていったにちがいない。いったい、どこのどいつが、どんな理由で、かような行為に及んだのか?想像することさえ億劫だ。それにしても、がっくりするほど汚らしい光景。むろんこれは、一部の不埒な者どもによる悪行だ。しかしながら、こうも考えられる。これは、日本人全体の、精神の問題である。気持ちがすさんでいる。心が貧しいんだ。

車からおりた。橋げたが、水につかっているところまで行った。斜めにおりて、流れのひいた、猫の額ほどのぬかるみに立った。川カミの水際を、首をのばして眺めた。ずっと崖だ。やはり水際は歩けない。引き返した。となると、あとはもう、釘無橋を撮るしかない。荒れた畑の脇を、後ろを振り返りながら歩いた。橋がどんどん小さくなっていく。立ち止まった。膝をついて撮りはじめた。橋全体を、この角度から見るのは、はじめてだった。

画像をモニターしながら、いやっというほど撮った。それでも、気に入ったモノが撮れない。いい加減イヤになった。引き上げよう。いや待てよ、橋の上を自転車が通っている。そういえば、まだ一度も、橋の上を歩いたことがない。でもねぇ〜、あそまで行くには、ずいぶん歩くぞ。

橋と土手とは、いわば「ねじれの関係」。交錯しているけれども、交わっていない。だから、脇から入り込む、ということができない。橋の上に行くには、かなりの回り道。つまりはこうだ。いま一度、土手を登り下りする。併走している自転車道をまたぎ、橋に沿った、一方通行の道を歩いて、県道にまで出る。そこで、
180度振り返り、急勾配の橋を登る。行って、帰ってくるだけでも、三十分はかかりそうだ。

十二時を、はるかに回っていた。それなのに、まだ、飲まず食わず。かなり疲れている。どうする?空を見上げた。雲ひとつない青空。この際だ
思い切って、行くことにした。

そろそろ歩き出した。橋のヨコ道は日陰。すずしい。左手は住宅地。道端の赤い自動販売機が目に入った。冷たいのを一本飲みたいところだが、我慢した。あっという間に、市街地へと向かう県道。振り返って、橋の急勾配を見上げる。車に注意しながら、右端を歩く。登りきったところからは、半間ほどの歩道。ほっとした。とはいえ、ガードレールで仕切られていない。すぐ脇を、車が通り過ぎていく。やはり恐い。それに、橋の欄干が低い。腰の辺りの高さ。こっちのほうがもっと怖い。寄りかかっているところを、少し押されただけで、まっさかさまに落ちてしまう。とはいえ、ながめは最高だった。下流の、清掃工場の煙突が、青空に、ツンと立っている。お気に入りの煙突を、心おきなく撮った。疲れが吹き飛んだ。





2004.3.28(日)快晴。昨日よりは、心持ち、空の色がさえない。八時半、右岸の、八瀬大橋の下にいる。いつもは、ダンプが砂煙を上げながら、行ったり来たりしている所。不法投棄が絶えない、入間川きっての無法地帯だ。とはいえ、今日は日曜日、ダンプはいない。そのかわり、軽の四駆や乗用車で、ごったがえしている。

軽の四駆は、でこぼこの産廃の山がお目当て。ひっくり返りそうになりながら、車を動かすのが楽しいらしい。一方、乗用車は、サッカー少年たちの親たち。クランドの前に立って、我が子の練習を見守っている。殺伐とした空間が、休みの日だけは、日常的な空間となる。

ウィンドブレーカーを、上下きちっと着込んだ。八瀬大橋の上は、風が強くて寒い。何回も歩いたことがあるので、よくわかっている。それに、午前中の早い時間でないとダメだ。瞬く間に、明かりが斜めになってくる。遠くの山並みが、きれいに撮れない。これも経験積みのことだ。

橋の下をのぞきながら、歩きはじめた。あいかわらず、ゴミが散乱している。煮炊きした後もある。といっても、人の気配はない。ヨコは、荒れた畑。すぐに、廃線の電柱が見えてきた。でも今日は撮らない。向こうの、低い土手から、一刻も早く、橋に入り込みたかった。ところが、急に気が変わった。ためしに、この、コンクリで固められた、橋の横っ腹をよじ登ってみよう。そのほうが近い。

カメラを肩から外した。土留めコンクリの、平らなところにそっと置いた。あとは、四つん這いになって、一気に這い上がった。こんな子供じみたことは、めったにやらない。今日はどうかしている。

真っ白なコンクリの上を、涼しい顔をして、歩けるところまで歩いた。立ち止まり、上流をゆっくり眺めた。お気に入りの、赤い給水橋が、荒れた野っぱらの中にあった。

さぁ〜てと、これからが本番だ。ガードレールをまたいだ。車に注意して、車道を突っ切った。そしてまたガードレールをまたいで、歩行者専用の橋に入り込んだ。幅が広くて、ゆったりとしている。ただし、下流側にかかっているため、上流の景色が見えづらい。並行している、車専用の橋が邪魔なんだ。ま、下流の景色も悪くはないが、なんと言っても、上流のほうがいい。ということは、またガードレールをまたいで、向こう側にいかなければならない。無理だろう。だって、あっちには歩道がない。ところがそうじゃないんだ。橋の真ん中ヘンから、何のために作ったのか?、50センチ幅の路側帯ある。脇を車がビュンビュン通り過ぎていくわけだが、そこからなら、上流にカメラを向けることができる。でもねぇ〜、あぶないぞ。本当は行くのがイヤなんだ。去年の冬に、富士山を撮りにきて、懲りている。なにをいまさら、ここは、行くしかない。

路側帯の上陸に成功
ちょっとオーバーだな。とはいえ、車のサイドミラーに引っ掛けられて、橋から転落、なんてことも十分にありえる。落ちたら、命はない。危険な場所であることに変わりはない。ほとんどなにも考えずに、さっさと撮った。撮りたいのは、赤い橋と青い空だけだ。
十二時半、川越市場の裏手から、右岸の小さな土手道に入り込んだ。車のすれ違いができない、ガタガタの、低めの土手道。ちょっとシモ手の、採石工場の脇で行き止まりだから、車はめったに入ってこない。とはいえ、ここに車をぶっ止めるわけにもいかない。少しカミに向かって走った。右手に、こじんまりしたグランドがある。その前に車を止めた。ここなら安心だ。

きれいにならされたグランドを突っ切った。パタパタと、自分の足音が聞こえた。仕切り用の垣根を、体を斜めにしてすりぬける。と、目の前が開けた。川の流れだ。対岸には、青い、生コンの工場も見える。さっそく、水辺に下りていった。せまい河原だ。あたりを見回した。たいした景色じゃない。それでも、なんとなく、立ち去りがたい。すこしの間、その場に立ちすくんでいた。すると、川がさわさわと音を立てている。空の高みでは、小鳥たちが囀っている。河原の草が、少し冷たい風になびいている。これでいい。

護岸をつたわって、上にあがった。川に沿って、デコボコの、ほこりっぽい道が続いている。右は、すこし高くなった荒地。前に来たときには、中年の親父たちが、ラジコンをやっていた。音がしないところをみると、今日は来ていない。それじゃあ、行くか。心の中で掛け声をかけて、荒地にのぼった。ありゃ、一面真っ黒。誰かが野焼しやがった
!まだこげ臭い。その中を、そろそろ歩いた。真向かいには、お目当ての赤い給水橋が横たわっている。アーチの数を、目でかぞえた。八連もあった。





2004.4.5(月)快晴。あたたかい。雲ひとつない青空。午後一時四十分、家を出る。

土手の斜面に、菜の花が咲いているはずだ。左岸の、落合橋から釘無橋の間だ。午前中は逆光で撮れないから、昼寝の時間を返上して、出張ってきた。午後になれば、順光になるはずだ。

雁見橋の手前を左に曲がり、土手道に入った。かなり飛ばした。落合橋の、すぐ目の前で、土手をななめ右下へおりた。咲いてる、咲いてる。土手下の道を、ゆっくり走った。

橋の下は清々としていた。空き缶ひとつ落ちていない。見通しもいい、風通しもいい。それになによりも、ホームレスの気配がしない。めったに車も入り込んでこないし、静かでいいところだ。夏の暑い午後、ゆっくり昼寝をしたこともある。

そうだ、去年の今頃だった。ぶらっと来たら、土手一面に菜の花だ。はじめてみる光景に、かなり興奮した。バシャバシャ、何枚も撮った。そのうちの一枚は、よほど気に入ったとみえて、部屋の壁にピンナップされている。道をはさんで、左側には、菜の花の斜面。ずっと続いている。右側の川原には、葉を広げた、大きな木が一本立っている。そんな写真だ。

車をおりて、歩き出した。いつの間にか、土手を斜めにあがる小道にまで来ている。この途中で、あの写真を撮ったんだ。どの辺かな?目で探しているうちに、ふと気づいた。木に葉がついていない。まだ坊主だ。ちょっと考えた。菜の花は、けっこう長い間咲いているから、そのうち、あの木にも葉っぱがつくのだろうか?まさか、枯れてしまったわけでもあるまい。ほかにも、気づいたことがある。気に入った写真の構図で、また撮ろうとしている。二匹目のドジョウを狙っている。これはだめだ。目の前の景色を見ていない。頭の中の景色を見ている。自己模倣。何回も、何十回も同じ過ちを繰り返している。意地でも、同じ構図の写真は撮らない。そう、決めたはずだ。

土手の上にあがった。車止めのポールがあり、そのヨコに、ばってんマークの波消しブロックがある。重機がなければ、動かしようのない代物だ。なんでひとつだけ、土手の上にあるんだろう?おもしろがって、来るたびに撮っている。ためしに今日は、この物体の上に立って、下流を俯瞰してみよう。

手足を使い、適当な凹みを利用し、強引に、ばってんの左右の頂点に足を置いた。いってみれば仁王立ちだ。なるほど、ほんの1
mくらいの高さだが、見晴らしが全然ちがう。どぉ〜っと、開けている。下流の、釘無橋はもちろんのこと、その向こうの煙突の煙までもが、手に取るように見える。はじめてみる景色に、たしょう興奮気味。おりたり、あがったり、かなりしつこく撮った。その間、橋を通過する車の音がずっと聞こえていた。好奇な視線を背中で感じたが、気にはならなかった。

今度は、砂利の土手道を歩き出した。右手の斜面が黄色に染まっている。はるか彼方まで続いている。とはいえ、このまま歩いていっても、埒があかない。斜面に踏み込んだ。菜の花がまばら。折らないように、気をつけておりた。

土手下の道。タイヤの跡が、二本くっきりついている。釘無橋の、すこし先で行き止まり。おなじみの道だ。きょうは、菜の花の匂いがすごい。

正直言って、この匂いは、あまり好きではない。肥溜めの匂いだ。とはいえ、菜の花は、桜より、ずっと好き。桜花の下での、むさくるしい光景を目にしないだけでも、はるかにいい。安っぽいブルーシートのうえで酒を飲み交わし、カラオケのマイクを握る。あれほど俗悪な感性もめずらしい。同じ日本人として、恥ずかしい。

すぐに、大きな木の下に来た。道の真ん中に立ち止まり、まじまじと見上げた。葉っぱこそついていないものの、枝の先が、少し膨らんでいる。枯れてはいない。

前を見た。菜の花が、斜面を埋め尽くしている。まだまだ続いている。見事だ。おそらく、入間川では、ここだけだ。このまま、釘無の橋まで歩いていこうか?すこし迷った。





2004.4.6(火)晴れ。あたたかい。午前中は青空。午後からは雲が出てきた。

八時過ぎに家を出る。川越橋を渡り、右岸の土手道を走る。落合橋のたもとで、逆Vをきり、土手道から一般道へ出る。坂道で、左へ大きくカーブしている。その曲がり際を、また、逆Vをきる。細い生活道路だ。そのまま、道なりに少し走り、橋の横っ腹のトンネルをくぐる。右手は住宅、左手は見上げるような土手、その間を走る。住宅がきれたあたりに、土手へと登る道がある。縁石がまだ白いから、最近舗装されたのだろう。

ここを通り抜けるのは、あまり好きではない。土手の平らになった所に、汚らしい犬が四匹もいる。みな、ちょっとはなされ、鉄の棒につながれている。さらに一匹、道路際の民家にも白い犬がいる。こいつは、ヒトの気配を察すると、きまって、前足を柵にかけ、狂ったように騒ぎ立てる。とたんに、土手の犬どもが、一斉に吠え立てる。こっちは車だから、ほんの数秒のことだ。とはいえ、通るたびに、ギャンギャンやられているので、かなり頭にきている。

砂利深い土手道を、
20キロ位の速度で走る。すぐに釘無橋。土手が、橋によって途切れている。下に下りるか、併走している自転車道に入り込むか、ふたつにひとつだ。むろん、自転車道のほうは、車の進入は禁止。でも、下に下りて、ゴミだらけの橋の下を抜けるよりは、一直線の、舗装された道を、ぎゅ〜んと下るほうが、気分はいい。

正面からサイクリング車が猛スピードできたら、大事故になるぞ。急に不安になった。こんなことなら、最初から、下に下りていけばよかった。

かなり注意しながら、橋の下をくぐりぬけ、そしてまた土手に上がった。川原へと下りていく道がある。ぐぅ〜と左に曲がっている。すぐにT字路。目の前には川。左へ行けば、橋の下。それは知っている。今日は、これを右へ行く。川に沿った、軽トラが一台、やっと通れるほどの畑道だ。どこまで続いているのか、よくわからない。なにしろ、はじめて走る道だ。

ぬかるんでいる。タイヤが泥だらけになる。う〜ん、そんなことも言っていられないだろう。おっと、菜の花が満開だ。ふた畝、きれいに植えられている。ちょっと先の、少し広くなったところに車を止め、外に出た。周りは、畑のような、荒地のような、なんとも雑駁な感じだ。ネギなども植わっている。少しもどって、菜の花の前に立った。顔を上げる。橋の、白い外灯が目に付いた。青空のなかに、きれいに並んでいる。

さらにぬかるみを走ろうとした。と、脇に、なにやら大量の週刊誌が捨ててある。段ボール箱からあふれている。エロ本だろう。ふらふらっと、そっちほうへ行ってしまった。どぎついヌードの表紙を、じっと見た。が、はっきり見えない。目が悪いんだ。情けないはなしだ。気分が、しらけた。それに、道の先には、軽トラが止まっている。おじさんが農作業をしている。車を回転させた。今来た道を戻った。

再び土手に上がり、川シモへ、少し移動した。左手に越辺(おっぺ)川との合流点が見える。堰があり、周辺で、何人も釣りをしている。車を土手のハジに寄せた。合流点は、お楽しみにとっておく。まずは、その先の、まだ歩いたことのない川っぺりだ。合流点を横目で見ながら、土手を、水門まで、ぶらぶら歩いた。そこから、ななめにおり、川へと続く畑道に入った。突きあたりまで行き、下を見おろした。やっぱりな。河原がある。足元を眺めた。どうやら下りられそうだ。

はじめての河原だ。だが、どうにも、展望がない。対岸は崖で、その上は荒地。カミもシモも、流れが蛇行しているせいか、見通しがない。それでもいちおう、水際をくまなく歩いた。今にも崩れ落ちそうながけっぷちに、菜の花が咲いている。静かで、雲の様子もいい。とはいえ、写真に撮りたいような景色ではない。河原のきれたところからは、護岸をななめに歩き、合流点へと向かった。

対岸は、ずっと水流に侵食された崖。それが、堰のあたりで、すっと後退する。かわりに、きれいなエプロン形の河原が見える。よく見ると、水際に、かなり太い釣竿が、五、六本並んでいる。ヨコに、白いレジャーチェアーなどもある。人影はないが、堰の上の護岸に、車が止まっている。釣竿の主は、そこにいるのかもしれない。これ見よがしに、高そうな釣竿をずらっと並べて、貴重な河原を独り占めにしている。この手の釣り人は、どうにもいただけない。

釣り、か。小学生の頃によくやった。お金のかからない遊びで、けっこう好きだった。ところが、あるとき、ふと、思った。魚がかわいそうだ。鋭い針が口の中に刺さっている。目を貫通していることもある。それを、我が身に置きかえてみた。魚にとっての釣り針は、人間にとっては太い針金だ。そんなモノが喉に突き刺ささる。そのまま、ワイヤーで、力まかせに手繰りよせられる。ぎゅ〜んと吊り上げられたところは、息の出来ない、真空地帯。あっぷあっぷしている。思い浮かべているうちに、そら恐ろしくなった。以来、釣りはやっていない。

この堰に来たのは、はじめてだ。土手の上からは、よく眺めていた。だが、なんとなく下りていく気になれなかった。いつだって、車が止まっている。釣り場へ、カメラをぶら下げて、のこのこ入り込んでいくのが億劫だった。でも今日は、そんなことも言っていられない。釣り人の後ろをそっと歩いて、合流点に達した。しかしねぇ〜、はじめて目にする景色のわりには、感動が全然ない。堰全体が、茶色っぽい。目を引くようなものがない。散漫な感じ。期待はずれだった。

後ろも振り返らずに、土手の上の車にもどった。休憩がてら、パソコンに画像を入力。疲れたのだろうか?少しの間、車の中で、ぼぉっとしていた。

車を走らせた。土手をななめに下りた。畑道を突き当りまでいき、右に曲がった。川沿いの川原道だ。少し広くなったところに車が止まっている。その後ろに車をつけた。と、すぐに、うしろから黒っぽい乗用車がやってきた。バックミラーで見ていると、なかから、年寄りが出てきた。釣りをしに来たようだ。

外に出た。かなりの崖だ。その下に、先ほど歩いた河原がある。対岸は荒地。その上に、清掃工場の煙突が、ちょこんと見える。河原がきれる辺りで、じいさんばあさんが、釣り糸をたれている。寄り添っている。ばあさんのほうは、菅笠のようなものをかぶっている。妙な光景だ。

さらに、ぬかった道を、川シモのほうへ歩く。煙突が視界から消える。どこまで行けるのかな?などと思っていると、なぜか、崖が少しだけ護岸になっている。そこに、またしても、エロ本だ。何冊もある。ふ〜む。しゃがみこんで、ぺらぺらと頁をめくっていた。と、いきなり、青のジムニーがやってきた。立ち上がって、何食わぬ顔をしてやり過ごす。ところが、ジムニー野郎は、すぐに回転して戻ってきた。どうやら、行き止まりらしい。首をのばして確かめると、なるほど、先は竹やぶ。行って行けないこともないが、ぬかるんだ悪路。ハジによって、通りすぎるのを待った。すれ違いざまに、ジムニー野郎が、ちょこっと会釈をしてきた。アクのない中年だった。その場で見ていると、畑道をまっすぐに走り抜け、そのまま、おっと
!土手を垂直に登っていく。緑の斜面に、タイヤの跡が、くっきり二本ついている。上がり際に、がぁ〜と90度回転して、今度は土手道を、真一文字に走りぬけていった。

あいつも、軽の四駆で、入間川を探検しているのだろうか?平然と、車輪で草花を踏みにじっていく輩だが、腹立たしい気分にはならなかった。

引き上げだな。今来た道を戻った。向こうから、頭の少しはげた爺さんが歩いてくる。手ぶらで、ワイシャツ一枚。荒れた川原に、ふさわしくない服装だ。おそらく、最近退職した、年金生活者だろう。柔らかな物腰からして、以前はきっと、実直なサラリーマンだったにちがいない。迷い込んでしまった感じだな。すれちがいざまに、かるく会釈を交わす。

車に戻った。車内が暑い。窓を開け放った。Tシャツ一枚になる。パソコンを開いて画像を入力する。対岸から、冷たい風が入ってくる。気持ちがいい。少しウトウトした。

まともな写真が一枚もない。あるとすれば、あの、年寄り夫婦を右隅に入れたやつだけだ。ベケットの世界だな。



1  2  3  4  5  6



top photo essay essay gallery exhibition biography contact

Written by sekinetoshikazu in Kawagoe Japan

Copyright(C)2008 Sekine Toshikazu All rights reserved